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ご挨拶
このサイトはフランス発祥のファッションブランドのシャネル(CHANEL)についてのお得情報を発信していきたいと思います。シャネル(CHANEL)についての情報・価格・口コミ・評判などを中心にコラムを掲載、色々な情報を掲載していきたいと思います。皆様のお役に立てれば幸いです。
ココ・シャネル
シャネルの創業者はココ・シャネルという女性です。ココといのは愛称で、本名はガブリエル・シャネルというそうです。ココ・シャネルの子供時代はあまり良いものではありませんでした。12歳の誕生日を迎える前に、母親が他界し、父親に捨てられて孤児院や修道院で育ちます。当時はデザイナーとかではなく、歌手を志していたそうです。キャバレーで歌っていた歌の題名から「ココ」の愛称が付いたといわれています。
その後芸能界への道を諦めたココ・シャネルは交際していた将校のチエンヌ・バルサンと一緒にパリ郊外へ移ります。友人達の社交場となっていた牧場で過ごしていたのですが、とても退屈な毎日だったようです。退屈しのぎに作った帽子のデザインがその社交場で認められ、チエンヌ・バルサンの援助により1909年にマルゼルブ大通り160番地でシャネルの第一歩となる帽子のアトリエを開業します。
1910年にカンボンラインで有名なパリのカンボン通りにシャネル・モードという名前で帽子専門店を開業します。この時、チエンヌ・バルサンとは別れており、同じグループの中にいた英国人青年実業家アーサー・カペルという人物と交際をはじめます。このカンボン通りのお店は彼の助力で実現したお店だったそうです。彼がいなければ今日のシャネルはなかったのかもしれませんね。
1913年にフランスのリゾート地ドゥーブルに二号店を開店します。1915年にはビアリッツにメゾン・ド・クチュールを開店します。1916年にはコレクションを発表し成功を収めます。それまでの既成概念に囚われず、ジャージー素材でドレスを作るなど、シャネルの斬新さをアピールすることに成功しました。
どんどんお店を出し、事業を拡大、成功を収めていく中で、ココ・シャネルにとって不幸な出来事が襲います。1919年、アーサー・カペルが事故死してしまうのです。ココ・シャネルは生涯で彼を最も愛し、結婚も切望していましたが、それは適わぬ夢となってしまいました。彼に操を立てたのでしょうか、ココ・シャネルは生涯結婚しなかったそうです。
1921年、本店をカンボン通り31番地に拡張します。この時有名なシャネルの香水のNo.5とNo.22を発表します。この香水は現在まで続いている超ロングセラーの商品です。愛用している女性も多いと思います。
順調に事業を拡大していき、1939年には従業員4000人を抱える一大企業になります。しかし、コレクション前の苛烈な労働条件を前についに労働者側がストライキを起こしてしまいます。これに対しココ・シャネルの取った行動は、一部の店舗を残し全てのビジネスをやめてしまうというものでした。現在では考えられないですね。半引退のような状態になり、15年間ファッションの世界から遠ざかることになります。